別子銅山跡  2019/5/22

 別子銅山跡マイントピア別子は山奥だと思っていたら以外と新居浜から近い。そこを起点にトロッコ列車に揺られて坑内跡が見学できる。往復を含めてほぼ一時間かかる。中には、採掘の様子や鉱山全体の模型などがある。特に何段にも竹をつないだパイプで坑内の排水をする姿は痛々しい。水は真空にしても10M以上は汲み上げられない。そのため、10M毎に中継をしながら汲み上げていくことになる。駅伝と同じで全員がそろってはじめて目的が達成できる。当初は山の上から下に掘り下げながら採掘していたそうなので、水の汲出しは最重要の作業であった。その後、外国の採掘方法である中腹から水平に掘り進めその坑道を起点に上下に掘り進めるようになったのでかなり緩和されたと聞いた。東平(とうなる)は日本三大銅山(足尾、日立、別子)のひとつ別子銅山の採鉱本部が置かれた銅鉱石の採掘村として明治末期から昭和43年まで栄えた。その遺跡が標高約750mの地に残っている。一車線しかない崖上の狭い道路でつながっている。往復はマイクロバスを利用するのが良い。往復時間も含めて2時間コースである。専門のガイドが説明する。写真はあまりゆっくりとは撮れない。東洋のマチュピチュといわれる遺跡は経年で損傷が進み成長する木々の茂みに隠れつつある。選鉱手順は大きな塊を銅鉱石の多い部分と岩石(鉄分を多く含む)に分け、小さく砕いて溶かすと重い銅と軽い岩石や鉄などに分離される。溶かすためには大量の薪が必要で山の緑はどんどんなくなっていった。鉱石には硫黄も含まれ精錬過程で植物には悪い亜硫酸ガスも発生した。住友は採鉱をしながら植林も進めていき薪の確保と自然破壊を抑制した。ピーク時この村には8千人が住んだ。警察と役所関係者を4名を除き医師も含めて他はすべて住友社員であった。学校も病院も揃っており、生活の大部分は会社の補助や施設で成り立った。仕事の厳しさを補っていたのである。
 
トロッコで採掘坑跡に到着
 採掘坑跡の入り口
 
東平(とうなる)に到着すると上空に目立った雲はないのに彩雲。何か良いことがと期待したら好天に恵まれた。